オイオイオイ書くわアイツ

ほうクソブログですか……たいしたものですね

「竜とそばかすの姫」を見た

短め感想

良くも悪くも「細田守監督の謎サイバー空間少年少女成長譚」の新作という感じ。

良さはやはり見た目。あと音楽。 とにかくサイバー空間の映像が曲も含めて良い。 出てくるアバターのデザインもサマーウォーズのときからまた一味変えてきていて、焼き直しはしないぞという気合を感じる。 後なんか……ややフェティッシュな可愛さを持つアバターが多かったのも良かった。 サイバー空間での出来事を CG アニメで描写する構成も、シンプルでわかりやすく、更に丁寧さ・上手さを押し付けて来ていてパワフルで良かった。

悪さは、監督特有の相変わらずややキツめな社会観・母親観。 ちなみに私はこの社会観・母親観を「オッ!今回もやってんなあ〜〜〜!!😊」という感じで味わいたくて毎回細田映画を観に行ってるので、そういう意味では“良かった”。 実世界でも起きているような問題にいくらかのフィクション要素をもたせて優しい解決を与える良い映画だが、社会観がややおかしいので全体としてノイジーで観ていてのめり込めない。

全体として、映像的な部分でかなり頑張ってそうだし音楽も良く、話の大筋は近年お馴染みのヤバ社会細田映画 って感じだった。

長め感想

あらすじはこれ:

自然豊かな高知の田舎に住む17歳の女子高校生・内藤鈴(すず)は、幼い頃に母を事故で亡くし、父と二人暮らし。 母と一緒に歌うことが何よりも大好きだったすずは、その死をきっかけに歌うことができなくなっていた。

曲を作ることだけが生きる糧となっていたある日、親友に誘われ、全世界で50億人以上が集うインターネット上の仮想世界<U(ユー)>に参加することに。<U>では、「As(アズ)」と呼ばれる自分の分身を作り、まったく別の人生を生きることができる。歌えないはずのすずだったが、「ベル」と名付けたAsとしては自然と歌うことができた。ベルの歌は瞬く間に話題となり、歌姫として世界中の人気者になっていく。

数億のAsが集うベルの大規模コンサートの日。突如、轟音とともにベルの前に現れたのは、「竜」と呼ばれる謎の存在だった。乱暴で傲慢な竜によりコンサートは無茶苦茶に。そんな竜が抱える大きな傷の秘密を知りたいと近づくベル。一方、竜もまた、ベルの優しい歌声に少しずつ心を開いていく。

やがて世界中で巻き起こる、竜の正体探しアンベイル。

<U>の秩序を乱すものとして、正義を名乗るAsたちは竜を執拗に追いかけ始める。<U>と現実世界の双方で誹謗中傷があふれ、竜を二つの世界から排除しようという動きが加速する中、ベルは竜を探し出しその心を救いたいと願うが――。

現実世界の片隅に生きるすずの声は、たった一人の「誰か」に届くのか。 二つの世界がひとつになる時、奇跡が生まれる。

ホンマにめちゃめちゃ映像と音楽が良くて、主人公の鈴が仮想世界と関わって成長していく部分は歌の挟まりによるミュージカル効果も相まってかなり物語に没入できた。 アバターに反して少年的な振る舞いを竜が見せるシーンなんかも、竜の表情や相手の仕草への反応としてかなり丁寧に描かれている感じがして、大変良かった。 主人公の鈴が自身のトラウマを克服して素の姿でも歌えるようになるシーンは正直かなりグッと来た。 しかし、「ところで、何故監督はそんなにも社会を信じておらず、一方で個人の母性を神格化してしまうのですか?」という細田映画いつものやつを、鈴がトラウマを克服した後の 20 分くらいの展開でねじ込まれてしまって、落差で頭がおかしくなった。

映像が良いし音楽も良い

サイバー空間の映像と音楽が抜群に良く、「現実生活ではパッとしない女の子が別の舞台で世界に羽ばたくサクセスストーリー」の舞台として滅茶苦茶に良かった。 「サイバー空間の描写は CG を用いる」という形で手描きアニメである現実空間との差を見た目にわかりやすくしつつ、細やかな演技でサイバー空間と現実空間との間に「中の人」という繋がりを意識しやすかったのも良い。 また個人的には細田映画でいつもやってる「主線が赤っぽく描かれる空間」みたいな描写を使わずに別のやり口に挑戦してるのが本当にえらいなあと思って敬意を抱く。

CG 映像と曲が滅茶苦茶に良いんで、「ベルが歌う / 歌おうとすると事態が動く」というミュージカル的展開に気持ちが乗りやすかった。 活躍の場がインターネットに関係しているのもあって才能の発見・急激な拡散みたいな面にも違和感を覚えずに済んだ。 あと結局ベルが「無責任な大衆である観客」に発見されていくという展開で、映画を見ている自分自身が(映画を見ているただの人間であるという点とか、ベルの歌を聞いているただの観客であるという点から)「無責任な大衆である観客」側に同調しやすいというのも良かったかも。

ほんで CG 映像の何が良かったかというと、CG 利用で延々とキャラを動かす描写って今までの細田作品でやっていなかった(この映画で初めてやった)と思うんだが、 手描きパートと違和感を生じさせないような控えめで細かい演技を CG にさせてるのが個人的に凄い良かった。 (ネタバレになるが)竜がたまに見せる被虐待児童的な仕草とか、ベルが竜への態度を個人から保護者に変える動きとか、細かい機微が伝わる良い演技だった。 CG で描写されている仮想空間と同じ世界に手描きで描写されてる現実空間があるんだと感じさせてくれた。

f:id:Tak_Yaz:20210815205312p:plain
トレーラーで使われてるこのシーン、竜がベルからのスキンシップにうまく応えられてない感じが出てて演技が凄い良かった。

こういうサイバー空間って今までの細田映画だと「主線が赤っぽく描かれる空間」が使われると思うんだけど、それをやらないチャレンジ精神もすごいなあという感じ。 いつものあの赤主線空間じゃないのも相まってか、サイバー空間のキャラクターデザインもサマーウォーズとは結構テイストが違ってよかった。 なんか竜のオトモ AI みたいなやつらのデザインはかなり……なんらかの趣味の人に……ぶっ刺さりそうな感じだった。

f:id:Tak_Yaz:20210815205504j:plain
赤主線空間の参考画像

こっちはなんか良すぎるデザインのアバターたちの参考画像。 良すぎませんか?

大テーマが不協和音を生じさせる

ところで、先述 「現実生活ではパッとしない女の子が別の舞台で世界に羽ばたくサクセスストーリー」の舞台として滅茶苦茶に良かった と言ったが、この映画の主題は「現実世界ではパッとしない女の子が別の舞台で世界に羽ばたくサクセスストーリー」 ではない。 鈴が「母親は自分との将来と見ず知らずの子の命を天秤にかけて後者を取った」というトラウマと向き合い、自身も他人を庇護するために危険を顧みず行動できる母性を獲得し、母親の死を理解するための物語である。 この主題に対して、仮想空間を用いた舞台設定がうまく溶け合っていないように感じ、かなりキツさを覚えた。

滅茶苦茶ネタバレを含むが、この映画の「仮想世界でのクライマックス」は、被虐待児童であると発覚した竜の住所を知るべく、鈴が竜の信用を得るためにベルのアバターを捨てて実際の外見をアバターとして用い歌うシーンである。 このシーンは、鈴がトラウマを克服して自分自身の姿を晒しても歌えるようになったという「成長を示すシーン」であり、被虐待児童である竜のために自分が社会的リスクを負う行動を取ったという「鈴の母親への理解を示すシーン」でもある。 で、この仮想世界で鈴が歌うシーン自体は 正直めちゃくちゃ良かった んだけども、この後なんか鈴が現実世界で竜を助けに行く「現実世界でのクライマックス」が始まり、 これがキツい

あんま自身が感じたキツさをつらつらと論理的に書くのも感じ悪いんでざっと喋るが:

  • 「鈴が一人旅によってちょっとした自立を演出するのにちょうどよい場所」である東京に竜の中の人が住んでいるという構成は、鈴が世界中の人間に歌で認められるという仮想世界でのクライマックスに比べてスケールダウンを感じる。
  • 歌以外は普通の女子高生(であり、かつそれが仮想世界で人々の共感・応援を呼んだはず)な鈴がひとりで虐待暴行現場に向かう時に周囲の登場人物が止めようとしなくて怖い。彼らが鈴を支えていたという現実世界側の設定に共感できなくなった。
  • 結局現実世界での解決も「鈴が来てくれたので恵くん(竜の中身の児童)が虐待に立ち向かう勇気をもらいました」なのですごい。全世界の人々を感動させる鈴の歌の才能が現実世界の問題解決に役立っておらず、直接的に恵くんを救ったのは細田監督特有の「全てを投げ出す母親像」であるというのは構成・価値観的にいびつに感じる。

で、これは本当に後付の理屈(というかただの感想)なんで、実際にそれで良くなるわけはない(というか恐らく悪くなる)が、どうしても

  • 最後の顔出しライブだけで勢いで話が終わる
  • 鈴の周りの大人がもっと関わって(その過程で鈴自身も周りの人からの保護に気づいたりしつつ)なんとか解決する
  • 「ベルとしての活動の収益はいろいろな団体に寄付している」という説明で出てきた児童保護団体に協力を仰いで何とか解決ゾロリする

などしてほしかったなと感じてしまう。 とにかく顔出しライブシーンは良くて結構感動していただけに 全部吹き飛ばしてま〜〜た自己犠牲最強無敵マッマ物語が始まったのがキツかった

優しい話にしたいのだと感じるが、優しさが狂っている

まあなんか……歌とかいうスーパー才能がなくても人は周囲の人と繋がって、また別の誰かとも繋がって、その繋がりで人を助けられるんだよ……みたいな……そういう話をしたいんだろうなという感じはする。 が、どうにも「人が人と繋がる描写」や「人が人を助ける・救う描写」に違和感を覚えてしまう。 女子高生が周囲の誰にも静止されず、唯一の身内にも相談せずに夜行バスで東京の虐待暴行現場に向かうのは、自然な人間の振る舞いではないのではないか。 むしろ破滅的な献身願望を持つ異常な人間のふるまいとして、やや尖ったヒーロー映画なんかで描かれる類のものではないかと感じる。

私個人としてはベルを囲む無責任なインターネット観衆の方に投影先を見出していたので、最後の現実世界側のクライマックスでインターネット観衆が置いていかれたのは寂しく感じた。 で、あの世界の特に現実世界での出来事に関する話は自分に向けたものではないと感じ、急に冷めてしまったんだろう。

最後に

価値観的なキツさがあるとはいえ、10 年に一回くらい作られる「細田守監督の謎サイバー空間少年少女成長譚」だし、そういう観点で色々観るのに十分楽しい映画だった。 個人的にはサマーウォーズよりは結構好きで、デジモンよりは好きじゃないという感じ。 観て後悔するようなことはなかったんで、細田守映画よく観るよ〜って人は劇場で観ると良いかもと思った。